露崎まひるという存在
#3の開演が決まり、ノリに乗っているスタァライトにおいて存在感を増してきている露崎まひる氏をご存知だろうか。
#2において、涼ちゃんという元カノがいたという衝撃とともに、彼女の恐ろしい強さを目の当たりにした。
それは、優しいことである。
彼女自身は(これから先の事柄は個人的見解であることを承知願いたい)気がついていないのだろうが、多くの人を惹きつける力を持っているのではないだろうか。
いや、どこが怖いの?またいつもの妄想の発作なの?と言われるから本題へ入るが、どこに恐ろしさを感じるかというと、彼女の優しさは、底がない海のようにスケールが大きいのだ。
ひかりちゃんや華恋ちゃんに怒ることはすれども、絶対に見捨てるようなことはしない。
普通なら愛想が尽きていてもおかしくない。
自分がB組の生徒だったなら、あの二人の醜態を見たら百年の恋も冷めるだろう。
甲斐甲斐しいとかいうレベルじゃねぇぞまひるちゃん。ヤバイぞ?
これを無自覚でやっているのである。
ひかりちゃんと出会う前の華恋へのアプローチをみても、スタリラのイベントストーリー内での働き方を探せばいくらでも見つかるだろう。
それでいて自己肯定感が低い(私が勝手にそう思ってるだけです)のは無いぞ?あるか?
「私は、別に大したことなんてしてないよ......?」とか普通の顔をして言うに決まっている。
良い言い方をすればダメ人間製造機。
悪くいえば魔性の女である。
こういう言い方は嫌いなのだが、安直な例を使うならfgoのカーマと重なってしまった。
アレは悪意を持って堕落させるが、まひるさんは善意のみで世話を焼いているのである。
その善意に当てられたのが涼ちゃんだし、私の推しカプのまひかり時空のひかりちゃんだと思っている。
もっと怖い言い方をするなら
巴珠緒
に近い性質なのである。
気がついたらそこから動く気力すらなくなってしまうようなひだまりの陽光。
これが彼女の「権能」だ。
このことに気がつけたのは、スタリラ水着イベントの例のjnnnが発端である。
ツイッター内でも反響の大きかった、大場ななの「失策」を見つめた時に、自分の中に浮かび上がってきたのが露崎まひるという人物だったのだ。
大場さんの優しさは「孤独」「変化」に対する恐怖に裏打ちされた自分本位の優しさだとしたら、露崎さんは自分から望んで他人の世話を焼いているという主体性がある分良いのかもしれない。
善良だからって、本人にとってそれが良いことなのかは別の話というわけですな。
まぁ、どっちが上とか下とかいう話ではなく、キャラクター性の違いとしてはかなり興味深いなというだけのことなので。
(次はまひるさんの中身に踏み込んだ話とかイベントでやってほしいよね)